奨学生 レポート

外国人奨学生の顔写真

ヴ ・ドゥク ・マイン
ベトナム出身/2024年度奨学生
上智大学 経済学部

① 日本に来て勉強になったこと

 日本に来て最も勉強になったのは、失敗を乗り越えることで自立する力を育てられたことです。ベトナムで暮らしていた頃、私の生活は比較的順調でした。家族は裕福ではありませんでしたが、生活に困ることはなく、勉強も受験も努力すれば結果が伴う日々でした。高校を卒業し、安定した環境の中でこのままでも十分幸せだと感じていましたが、ある時、自分の中に挑戦や成長への渇望があることに気づきました。日本への留学を決めたのは、そんな自分を変えたいという思いからでした。しかし、来日後は想像以上に多くの失敗が私を待ち受けていました。それでも、その一つ一つが私を強くし、自立へと導いてくれたのです。

 最初の大きな試練は、日本語学校での奨学金選考でした。学校での成績が良く、先生から推薦された私は自信を持っていました。しかし、面接で自分の目標や熱意を十分に伝えられず、不合格となりました。その後も奨学金のチャンスは何度か訪れましたが、思うように進まず、日本留学試験でも2回受験したものの点数が伸び悩みました。大学受験では志望校のほとんどに落ち、滑り止めの学校に進むか、帰国するかという選択肢が頭をよぎりました。そんな時、自分が納得できるまで挑戦したいという思いが私を支えました。周囲の友人や先生に相談しながら努力を重ね、専門学校への進学を決意したのです。

 この選択が転機となりました。専門学校では、日本語学校での失敗を教訓に、自分の目標を明確に定め、準備を徹底しました。例えば、志望動機を何度も書き直し、先生に添削を依頼しました。その結果、JASSO奨学金を得ることができたのです。初めて奨学金を受け取った時の喜びは忘れられません。特に2020年のコロナ禍でアルバイトがなくなり、生活が苦しかった時期に、この支援は私にとって大きな救いでした。アルバイトを探しても10社、20社と応募してほとんど落ちる中、経済的な支えがあったからこそ、学業に集中できたのです。さらに、専門学校での学びを通じて、念願だった大学合格も果たしました。

 また、上智大学への入学は夢の第一歩でしたが、そこでも新たな挑戦が待っていました。入学当初、N1レベルの日本語力があったものの、授業やグループワークで使われる言葉のスピードや深さに追いつけませんでした。例えば、グループディスカッションでは、意見を出すタイミングがつかめず、黙ってしまうことが多かったのです。そのため、1・2年生の成績は振るわず、単位を落とすこともありました。この状況に焦りを感じましたが、ここでも失敗をただの終わりとはしませんでした。勉強方法を見直し、友達や教授と積極的に協力する道を選んだのです。具体的には、授業後に質問に行ったり、友達と一緒に勉強したりしました。その結果、3・4年生では成績が大きく向上し、自信を取り戻すことができました。

 さらに、就職活動でも多くの失敗を経験しました。短期インターンシップで物流や商社を志望しましたが、自分に合う業界が見つからず困惑しました。本選考ではIT業界に絞り、エンジニアを目指して50社ほど受けましたが、最終面接に進んだ3社全てで不採用となりました。この時、「自分は何がしたいのか」と立ち止まり、自己分析を繰り返しました。そして、「お客様とコミュニケーションを取る仕事がしたい」と気づき、ITコンサルタントの道を選びました。選考では書類作成に時間をかけ、面接では自分の思いを丁寧に伝えることを心がけました。その努力が実り、内定を得られたのです。第一志望ではありませんでしたが、仕事内容や職場の雰囲気が自分に合うと感じ、入社を決めました。

 これらの経験から、日本に来なければ決して理解できなかったことがあります。それは、失敗は終わりではなく、自分を成長させる糧だということです。ベトナムにいたままなら、順調な生活の中でこの視点は得られなかったと思います。日本語学校での奨学金不合格、大学での成績不振、就職活動での挫折。どれも辛い瞬間でしたが、その度に周囲の助けを借りながら立ち直り、次のステップへ進むことができました。日本での生活は、時に厳しく、時に温かく、私に現実と向き合う勇気を与えてくれました。例えば、コロナ禍でアルバイトが見つからず困窮した時、家族や友人が励ましてくれたことが大きな支えとなりました。この学びは、今後の人生でも私を支え続けると考えています。

② 奨学金によって果たせたこと

 貴財団の奨学金によって、私が果たせた最も大きなことは、自分に合う道を見つけたことです。奨学金を申請した当初、私は物流業界で働くことを志望していましたが、就職活動が本格化する中で周囲が次々と内定を得る中、私は思うように進まず焦りを覚えました。そんな時、奨学金のおかげで経済的な不安が軽減され、自分の進路をじっくり見つめ直す余裕が生まれたのです。

 その転機となったのは、4年生の時に参加したIT企業での2か月間のインターンシップです。ウェブアプリケーション開発のプロジェクトで、私はリーダーを務め、ITの知識が乏しい中、5人のチームをまとめるのは想像以上に困難でした。最初の1か月は目標設定や役割分担が曖昧で、進捗が滞りました。期限が迫る中、製品が完成しないと判断し、一時はプロジェクトの辞退を考えました。しかし、チームで話し合い、「完成できなくても一緒に挑戦する価値がある」と決意を新たにしました。残り1週間、全員で協力し、最終的には製品を完成させ、企業から高い評価を得ることができました。この経験から、私は技術者としてコードを書くよりも、人と協力して課題を解決する方が自分に合っていると気づきました。もし奨学金がなければ、アルバイトに追われ、このプロジェクトに参加する時間も心の余裕も持てなかったと確信します。

 この経験から、私は技術者としてコードを書くよりも、人と協力して課題を解決する方が自分に合っていると気づきました。もし奨学金がなければ、アルバイトに追われ、このプロジェクトに参加する時間も心の余裕も持てなかったと確信します。

 この気づきは就職活動に大きな影響を与えました。当初目指していたエンジニアではなく、ITコンサルタントの道を選び、内定を得ることができました。また、奨学金のおかげで、多忙な4年生の時期に学業、就職活動、アルバイトを両立できただけでなく、2回ベトナムに帰国し、家族と過ごす貴重な時間も持てました。将来は、日本での経験を活かし、いつかベトナムと日本の架け橋となる仕事をしたいと考えています。その選択に迷う時も、奨学金を通じて得た自信と周囲の支えが私を後押ししてくれると信じています。

 最後に、財団の皆様への感謝を述べたいと思います。イベント参加が難しい時も、チャットでの交流の機会を設けてくださり、ミスには優しく寄り添い、良い報告には共に喜んでくださいました。この温かい支援があったからこそ、私は自分を見失わず挑戦を続けられたのです。1年間、本当にありがとうございました。これからも努力を重ね、皆様の期待に応えられるよう精進します。

ウェブアプリケーションの画面

ウェブアプリケーションの画面


最終プレゼンテーションに参加

最終プレゼンテーションに参加