ジヨフジャエフ・ジャムフル
ウズベキスタン出身/2022~2023年度奨学生
筑波大学 理工情報生命学術院 博士前期課程
最終エッセイ
このエッセイは、坂口財団の奨学生としての最後のエッセイとなり、面白くかつ有意義なものにしたいという思いから、悩み続けてきました。最終的にはパレスチナ・イスラエル問題に焦点を当てることにしました。このトピックは政治や宗教と密接に関わっており、非常にセンシティブな問題であることを理解しています。しかし、この問題は人間の命に関わるものであり、災害の犠牲者は非常に深刻です。だからこそ、黙っていて話を避けることは正しくありません。代わりに、私たちは調べ、話し合い、進行中の危機を止め、別の危機が起きないようにするために行動するべきです。なぜなら、私たち人間はお互いを助け合う責任があるからです。この問題は昨年の10月に発生したものではなく、75年以上にわたり続いています。問題の歴史が長く、詳しく話すことが出来ないし、皆様は学校等で既に学んでいることでしょう。本エッセイを通じて伝えたいのは2つのことだけです。それは、本問題は宗教の問題ではないことと、問題解決への貢献を呼びかけることです。
前者に関しては、これは私自身の言葉ではなく、多くのラビー(ユダヤ教指導者)、ユダヤ人の歴史家や教授、政治家の言葉です。特に、私が知っている範囲では、Yisroel Dovid Weissラビーがこの点を主張しています。彼は過去においてヨーロッパのユダヤ人がヨーロッパの迫害から逃れて中東や北アフリカの国々へ移住し、そこで現地の人々と平和で共存していた例を挙げ、オスマン帝国時代においても宗教間で数百年にわたり共存が続いていたことを説明しています。現在でもアラブ諸国や私の母国のウズベキスタンにユダヤ人が住んでおり、お互いを差別することなく共存している事例が多く見受けられます。コーランにも他宗教の神を謗ることが禁じられ、宗教に関わらず他者を親切に接することが命じられています。したがって、パレスチナ・イスラエル問題はイスラム対ユダヤ教の争いだと言う考え方は正しくありません。
後者に関する貢献については、問題に対する認識を持っている人々は皆、人間として責任があると考えています。戦争地の映像や画像は皆さんもご覧になっているでしょう。私も毎日戦争地の様子を見て、遠くにいる私にはできることはないのかなと数日間悩みました。お祈りや寄付、ボイコット、デモ参加、SNSでの情報発信など、さまざまな形で関与していましたが、それだけでは戦争は止まりません。私は政治的かつ経済的な権威や権力を持っていないため、直接援助は難しいと感じていました。しかし、せめて認知度を上げて、権力や権威を持つ人々に声を届け、行動を呼びかけることで、間接的に支援できるのではないかと考え、学内で「パレスチナ・イスラエル問題について知ろう」というイベントを開催しました。このイベントには、防衛大学校の江﨑先生をお招きし、当問題について講演していただきました。特に、パネルディスカッションの中で江﨑先生に対して「この問題の解決に向けて一般人の我々ができることは何ですか」と尋ねたところ、「まずはパレスチナ問題について関心を持ち続けること」が大切だとの回答をいただきました。パレスチナは日本から遠く、多くの日本人にとっては馴染みの薄いかも知れませんが、皆さんはどれくらい関心をお持ちでしょうか?私自身は大学時代からこの国に興味があり、学内で開催したイベントの前に何人かのパレスチナ人にインタビューをしました。皆さんに関心を持っていただくため、ここでそのインタビューの一部(戦前後の話)を紹介させてください。
(戦争前)
「ガザでの生活は良かった。しかし、2005年からガザはイスラエルの支配下に入った。その年からガザは他の地域から遮断された。だから2005年からイスラエルは、ガザに出入りするすべてのものを管理するようになった。国境はイスラエルの支配下にいくつかあり、エジプトの支配下に1つある。10月7日以降、エジプト政府の管理下にあるラファ国境を除いて、すべての国境が爆撃された。パレスチナには3つの領土があり、すなわち 48の占領地、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区である。それぞれの地域の市民は異なるIDを持っている。ガザ市民にとって、ガザの外に出ることはほとんど不可能だ。マスジド・アル・アクサ(イスラム教で3番目に神聖なモスク)に礼拝に行くことが許されるのは50歳以上の高齢者のみで、しかも1日だけ。若者には、アル・アクサ・モスクを訪れる許可は一切ない。ビジネスマンにはガザ外への外出許可があるが、許可期間はビジネスの種類にもよるが、平均10日間に限られている。電力問題があり、平均して1日6-8時間電気が使えるが、その後6-8時間停電する。水は汚染されており、シャワーと洗濯にしか使えない。飲み水や料理には水を買わなければならない。ガスが足りなくなることもある。教育については、子どもたちは他の国の子どもたちと同じように学校に通っている。多くの人が大学で教育を受けていますが、ガザでは仕事があまりなく、そのため失業率が高いのです(国連によると46%)」。(戦争後)「戦争が始まったその翌日から、ガザから水、電気、ガス、食料の供給が断たれた。食べるものも、飲む水も、携帯電話を充電する電気も足りない。誰もが飢えている。ガザに送られた食料トラックは国境で立ち往生する。やっとの思いでガザにたどり着いたトラックも、230万人を養うには十分ではない。飲料水がないため、人々は汚染された水を飲み、病気になる。トイレやシャワーは長蛇の列で、何時間も待たなければならない。何週間も、あるいは1ヶ月以上シャワーを浴びることができない人もいる。人口の半数以上が避難し、安全な避難場所を求めて学校や病院に住んでいる。しかし、学校や病院、モスクや教会でさえ安全ではない。人々は狭い空間に密集して暮らしている。私の母は、学校で50人の女性たちと1つの部屋に泊まった。保育器の中に赤ちゃんがいるし、手術をする病院もある。どれも電気が必要です。手術は麻酔なしで行われる。医師は携帯電話のフラッシュを使って手術をする。病院にはベッドが足りないので、患者は地面に寝なければならない。医療品も足りない。通信手段もない。遠く離れていても通信できるのはeSIMだけです。救急車を呼べない人もいるし、道路は爆撃されているし、救急車にはガソリンがない」。
現地状況は非常に悲惨な状況にあるため、私たちができることを積極的にやっていきましょう。
最終エッセイはネガティヴな内容になってしまいましたが、最後にこの2年間を私の大好きな日本での生活を支えてくださった坂口財団の皆様に心から感謝の意を表したいと思います。皆様のサポートにより、無事に卒業でき、授業外の時間をアルバイトではなく有意義な活動に費やすことができました。本当にありがとうございました。これからは社会人としての一歩を踏み出し、皆様のご支援に応えるべく、社会に貢献していきたいと思います。