ON2024 プレゼン概要

奨学生の顔写真

陸 晨思
中国出身/2024年度奨学生
上智大学 文学研究科 博士後期課程

ON2024「“あの事”があったから今の私がある」

 この課題が出されたときに、今の時点で人生を振り返るのが早すぎないか、それに、そもそも今の私ってどのような人間なのか自分でちゃんと把握しているのかと、心の中からなぜか後ろめたい気持ちが湧いてきた。しかし、現在の自分について唯一言えるのは、昔より自分との付き合い方が上手になったと思う。その理由は特定の出来事や人物より、むしろ今の私が過去を見るときに整理した一連の経験である。そして、コロナ禍中で拝読した『ポストコロナの生命哲学』の言葉を借りて、その理由をやっと言語化できる気がする。

 『ポストコロナの生命哲学』の著者である伊藤亜紗さんが、レビー小体型認知症の樋口直美さんから「引き算の時間」と「足し算の時間」という概念を耳にした。「引き算の時間」はゴールを見据え、そこから逆算して、今はしなければならないことをするようなことである。私たちが社会生活を営むときに、社会のリズム(例えば会社や学校のスケジュール)に合わせなくてはいけない社会的時間とも言える。それに対して「足し算の時間」は植物が持っている、太陽の動きに合わせて日々、少しずつ足していくという純粋に生理的な時間である。

 小さい頃から、「引き算」が苦手である。つまり、目標を立てて、それに向けて頑張ることがあまりできていない。習い事も、勉強も、人間関係も基本的に、将来望ましい結果を達成するより、今の過程が面白いから行動をとっている。当然ながら、興味を失ったらすぐにやめるケースも少なくない。その性格のせいで、中学2年のときに両親に本気でADHDではないかと心配された。幸い、勉強が面白いと思ったからそれなりに集中できた。高校3年生までに。センター試験が目前なのに急にやる気を失った結果は当然さんざんだった。自分が納得したが、たくさんの生徒を名門校に送った長年教育業に従事している母がどうしても釈然としない。さらに、それは自分の責任だと全て背負い込んでいるようになった。そのときに初めて自分が間違ったではないかと反省して、その後の数年間もずっと悩み続けていた。ちゃんとした目標を立ててから効率よく作業しようと、何度も「足し算」を試みていい結果を手に入れたが、それに伴って目標達成までの道がどんどん苦痛になってきた。(一例は英語翻訳資格試験)そのように過ごしているうち、家族が安心したようだが、自分の中で何か大事なものを失った気がした。

 転機は社会人になってから現れた。入社一年目の社内クイズ大会で優勝して、授賞式のアフターパーティーで社長さんと会話ができた。自分は少し日本語ができると、雑談しながら言及した。当時想像もしなかったが、この雑談をきっかけに、全くコンペの経験のない自分が翌年とある日系企業との連携プロジェクトに呼ばれた。半年を渡ったコンペの結果は、無事にうちのチームの企画が採用された。そして、現地研修での出会いで、現在日本の大学院で研究を進めている私がある。クイズ大会優勝の知識、日本語能力、どれも興味本位で始まり、「時間の無駄遣い」だと周りから言われ続けていたものだったが、それらがなければ今の私が私じゃないだろう。職場での一連の「偶然」が、私を「引き算」上手の人間にしなかったが、引き算下手なままでいいと自分を認める契機をくれた。なぜなら、私は「足し算」が得意だから。

 どうか誤解しないで、私は「引き算」の生き方を否定するつもりはない。ただし、ゴールにこだわりすぎると、一歩一歩の楽しみを味わうことが忘れられる。「引き算」で疲れたときに、たまに「足し算」してみないか。