奨学生 レポート

外国人奨学生の顔写真

陸 晨思(リク シンシ)
中国出身/2024年度奨学生
上智大学 文学研究科 博士後期課程

秋の過ごし方(11月エッセイ)

 11月に入って、街中は夏の気配のかけらもなく、すっかり秋模様になりました。「読書の秋」「グルメの秋」、色んな美名が付けられた秋ですが、私にとって一番苦手な季節です。辛いことが秋によく起きていたというような明確な理由はないですが、おそらく故郷の秋が毎年ものすごく短いせいで、秋の過ごし方にいまだに慣れていないからかもしれません。でも今年は少し秋を好きになる気がします。なぜならば、つい先週四年ぶりに帰国し、ずっと会いたかった人たちとやっと会えたからです。

 この四年間、経済急成長期中の母国にはコロナが襲いかかって、街風景から人々の風貌まで色々変わるはずです。帰ってもきっと右も左もわからないだろうと、ドキドキしました。帰ったら、街並みがすっかり綺麗になった、物価が倍になった、キャッシュレス化が屋台まで普及した、平日でも観光スポットに人だかりがするとか、激変を感じさせたことが多いです。しかし、もっとびっくりさせてくれたのは、久しぶりに家族です。たかが四年なのに、なぜ皆こんなに白髪が生えてきたの、(叔父や叔母の子供を含める)大家族の末っ子として寂しいような、悔しいような複雑な気持ちが心から湧いてきました。家族団円の宴から実家に帰る車の中で、父に「もう気づいたでしょう。僕たちの代の夏はもう終わって、これから人生の秋を過ごすよ。これからは君たちの時代だ」と言われました。突拍子でもない、恥ずかしい例え話でいかにも父らしい話し方だから、変わりようがないなと、少し安心しました。同時に、なぜ父はそう言っただろうか、その例え話から色々なことを思いつきました。

 昔、国語の授業で、古代中国の五行思想の中で、人生を四季に準える表現があると教えられました。青「春」朱「夏」、白「秋」、玄「冬」、それぞれ人生の各時期に対応します。私たちが今一番使う「青春」という言葉もまさにそこから取りました。しかし、何歳から何歳までは春、夏、秋、冬か、いろんな説はありますが、定かでないようです。感覚としては、中学校から大学卒業するまでは青春ですが、調べてみると、「10歳から20歳」「12歳から25歳」「20歳から40歳」など様々な分け方が出てきました。そしてそのほかの季節も同じです。その中で面白いのは、「白秋」に対する解釈です。少し前の時期に「下り坂の時期」だと説明されていましたが、ここ数年「人生の実りを楽しむ時期」という全く相反する意味が付けられています。この意味変容は、恐らく日本も中国も少子高齢化が進んでいる現在、定年生活をどう過ごすかが、社会にとって個人にとって大きな課題になってきたからではないかと考えます。確かに、秋の到来には抗えないですが、秋をどう過ごすかはまだ自分で決められます。万物凋落の秋にするか、収穫を祝う秋にするか、自分は人生の秋をどう過ごすかはまだわからないですが、時がきたら少しでも秋を好きになれたらいいなと、心からそう思い始めました。

(すでに黄金色に染めた故郷の銀杏)

(すでに黄金色に染めた故郷の銀杏)