胡 佳融(フ ジャロン)
中国出身/2023~2024年度奨学生
上智大学 地球環境学研究科 博士後期課程
5 月度エッセイ「GW読書感想」
ストレスフルで退屈な論文執筆スケジュールの息抜きに目黑区の自由が丘まで散歩に出かけた。高層ビルが立ち並ぶ都心部とは異なり、ここは街並みがヨーロッパの雰囲気だ。自由が丘といえば、その名の通り自由という第一印象のほかに、自由が丘にあった「トモヱ学園」や、そこに登場する黑柳徹子さんの著書『窓ぎわのトットちゃん』を思い浮かべるだろう。
『窓ぎわのトットちゃん』は、いろいろな思い出がよみがえる一冊であり、その中でも校⻑先生の自由教育に対する考え方に感銘を受けた。 最初に出会ったのは20年前の母国の小学校の国語教科書からの抜粋(中国語訳文)だった。小学生時代にトットちゃんを知ってから現在に至るまで、この本を再び開くと、まるで子供の頃に戻ったかのような錯覚に陥った。 幼い頃に比べ、また8年間の留学で少しずつ身についた日本の文化への理解もあり、全編を読み返すことで、この作品に対する思いがより深くなった。
まず、トットちゃんの成⻑を振り返って、彼女のキャリアに対する早熟な概念に驚かされた。子供の頃、国語の授業で「将来の夢」について作文を書かされることが多かったが、想像に頼るか、親の期待通りに作るしかなく、途方に暮れていた。社会にどのような仕事があるのかを理解し、将来どのような職業に就きたいかを自己分析できるようになったのは、日本への留学や大学でのキャリアデザインの講義を受けてからである(将来は大学の先生になりたいと思い、博士課程を選択した理由のひとつでもある)。それに対して、トットちゃんは、年齢の割にとても大人びていて、幼いながらも様々な職業に対する好奇心や想像力に溢れていた。また、日本留学中に小中学生との交流のイベントで、日本の教育(例え、職業図鑑を読む、職場で仕事を体験するなど)が若い人の社会理解やキャリアデザインに啓発的な効果をもたらしていることを知った。 このことは私を羨ましくさせ、幼い頃の自分の将来に対する戶惑いや無知、そして自分の成⻑についてバラ色のビジョンを持つことや将来の可能性を想像することを不可能にしていた、母国の点数だけで評価する教育と詰め込み教育に対する反省もあった。
そして『窓ぎわのトットちゃん』は、体育教育について改めて考えさせられた。トットちゃんの学校生活を通して、生徒の心身の健康を増進させる教育の重要性を深く理解した。物語の中でトットちゃんは、スポーツイベントや音楽を使ったリズム体操にたくさん参加していた。これは日本教育の典型であり、特に幼稚園や小学校の運動会に反映されている。私は、大学の文化交流プログラムを通じて日本の小学校の運動会を体験することがあった。母国とは異なり、日本の小学校の運動会では、運動が得意な生徒しか参加できない競技種目(陸上競技や球技など)だけでなく、全校生徒が参加し、さまざまなリズムの音楽に合わせて競技を行う種目もある。勝ち負けではなく、楽しむこと、諦めないことが重視される。このような「みんなのスポーツ」雰囲気は、私の留学生活にも浸透しており、大学の仲間や研究室の指導教員の励ましを受け、多くのスポーツに挑戦し、初心者である私を受け入れてくれる人たちに囲まれ、また、子供の頃に学業のために断念したフィギュアスケートを再開する勇気も与えてくれた。 日本の体育は、単に体を動かすだけでなく、文武両道、前向きで健康的な人生を育むためのプラットフォームでもあると思う。
全体として、『窓ぎわのトットちゃん』は温かさと教養に満ちた作品である。トットちゃんの成⻑物語を通して、私たちは子供のような無邪気な世界を感じるだけでなく、教育という概念の重要性を考えることができる。このような子どもの視点からの物語は、私に子どもの頃の楽しかった時間を思い出させるだけでなく、人生や教育についてより深く考えさせるものであった。 20年ぶりに本書を読み返すと、教員(大学教員とはいえ)を目指している私は、教育の使命と責任をあらためて認識させられた。 教育とは、学問的な知識を授けるだけでなく、生徒の心身の健康、多様性の尊重、総合的なリテラシーやヒューマニズムの涵養にも関わるものである。将来は、この本に登場する「トモヱ学園」の校⻑先生のように、若い世代が心身ともに健康で、総合的な能力を身につけ、豊かな人間性を育むことができるよう、世界を広げたいと思っている。
自由が丘まで散歩