マージョリー・ミュレール
フランス出身/2023年度奨学生
上智大学 地球環境学研究科 博士前期課程
親を失った後の異国での自立
私はよく、初めて日本に来た日を「生まれ変わった日」だと思う。
一人で育ててくれた親を亡くした後、それ以上フランスで生活することが不可能だと感じた。その時、まったく異国の地で、自分一人で再出発しなければならないと決めた。過去5年間、日本語の基礎を学んでいた私にとって、日本はちょうどいい場所でした。馴染みすぎず、完全に異国でもない。
新環境が私にもたらしたこと
4年経って振り返ってみると、本当に生まれ変わったような気分になる。最初の数年間は、周りの環境を知ることに必死で、常に成長していた。来日当初ほど日本語に苦労することはなくなったが、日々成長している実感が未だにある。しかし、この数年間、たったひとつだけ欠けていたものは「家族」だった。 東京に来てからの4年間、私はとても幸運にも親しい友人に出会い、東京がより暖かい場所になった。いい出会いをすればするほど、東京に留まる理由が増えてきた。しかし、今や東京は、私の人生の数年間を過ごす都市というより、第二の故郷となった。これは、私をずっと家族の一員であったかのように扱ってくれる義理の家族のおかげだ。
入学して一年、ずっと登ってみたかった富士山を登山
人生を変える勇気
2年前、人生の軌道修正を決意したとき、義理の家族のサポートは最も決定的なものだった。当時、私は仕事に不満があり、人生に目的を感じていなく、もっと環境を重視した仕事に変えたいと感じていた。もともと環境学を専攻していなかったため、大学に入り直す必要があると決断した。しかし、そのために正社員を辞めるのはリスクが大きく、踏み切る勇気が足りていなかった。退職すると、収入や住まいだけでなく、それまで築き上げてきたさまざまなものを放棄しなければならない。そんな時、私の悩みを聞いてくれて、1年目の学費を払えるような資金計画を立ててくれた家族のおかげで、望み通りに大学に通い、大学生活を満喫できるようになった。現在の私にできることは少ないが、来る母の日、父の日に感謝の気持ちを伝えようと思っている。