奨学生 レポート

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藤田 綾
2022~2025年度奨学生
オックスフォード大学 博士課程 社会政策介入学部

 2022年10月より貴財団のご支援をいただいております、藤田綾と申します。現在、オックスフォード大学大学院社会政策・介入評価学研究科博士課程をしております。本報告では、前半で育児と虐待予防に関する学びを、後半で奨学生期間中の取り組みと今後の計画について述べさせていただきます。

1.育児と虐待予防

(1)育児を通じた気づき

 駆け出しではありますが育児を経験する中で、研究対象でもあるポジティブ育児や親子関係への理解が一層深まりました。特に、子育ては日々意思決定の連続であり、理論やエビデンスが実践の拠り所になると実感しています。とりわけ、所属する研究チームが開発した育児プログラムParenting for Lifelong Healthのファシリテーター講習で学んだポジティブ育児の考え方は、私自身の育児方針にも大きく影響を与えています。理論やエビデンスの例としては、エリクソンの発達理論を知っているだけでも、その時期の子どもが直面する主要課題や適切な関わり方を見通せます。発達心理学や行動理論を学ぶことで、子どもの行動をより理解でき、誤解から叱ってしまうことや大人の関わりが子どもの問題行動を強化してしまう事態を防ぐことができます。

 虐待リスクについても、親子関係や家庭環境、支援体制は家族ごとに異なり、対策に絶対的な正解はありません。そのため、ソーシャルワークのエコロジカルモデルの視点から多面的に捉えることの重要性を改めて実感しました。私自身は、夫や家族、ナニーの支えにより心身の健康を保って研究に復帰できましたが、育児ストレスや産後うつ、孤立といったリスクは誰にとっても身近にあり、家族のサポートや社会資源の有無とアクセスが大きな分岐点になることを痛感しました。介入による支援に加え、日常の育児を支える多層的な仕組みが不可欠であると学びました。

研究復帰期の6週間、オックスフォードで育児と家事のサポートをしてくれた弟夫婦と

研究復帰期の6週間、オックスフォードで育児と家事のサポートをしてくれた弟夫婦と



(2)日本における育児プログラムの現状と課題

 博士課程では研究チーム「国際育児イニシアティブ(Global Parenting Initiative)」の一員として、低中所得国におけるParenting for Lifelong Healthプログラムの開発や評価に関する国際的な取り組みを学ぶ機会を得て、デジタル化による低コスト・大規模展開の特徴や各国での導入状況と実施上の課題に関する理解を深めました。さらに、先進国における豊富なエビデンスにも触れてきた経験から、自国である日本の現状や課題を見つめ直す必要性を強く感じています。

 育児プログラムとは、親子の相互作用や育児の質の向上を目的とする保護者向けの体系的な介入です。児童虐待や過度に懲罰的な養育の減少、ポジティブ育児や親子関係の改善、さらには子どもの行動問題の軽減を目指し、構造化されたセッションの中で保護者が具体的なスキルや行動を学ぶよう設計されています。効果が実証されているプログラムの多くは社会学習理論を基盤としています。

 こうした育児プログラムは、子どもに対する暴力を予防する有効な手立てですが、日本ではいまだ十分に普及していません。トリプルP、STEEP、Parent Effective Training (PET)、Nobody’s Perfect、未来ステップ、BPプログラムなどのプログラムが実施されているものの、導入は自治体や児童相談所に委ねられ、国レベルの標準化・制度化は限定的です。

 今後の課題として、第一に科学的に厳密なエビデンスの蓄積が急務です。先進国では効果が実証されたプログラムが広く普及し、低中所得国でも国家プログラムとしての導入事例が増える一方、日本における研究は極めて少数です。2023年に発行されたWHOガイドラインの根拠となったシステマティックレビューでは、世界278件の2〜10歳児の保護者を対象とする介入試験が検討され、効果について強固なエビデンスが示されましたが、米国107件、英国20件含む欧州で78件に対して日本からの研究はわずか2件でした。欧米発のプログラムをそのまま導入するのではなく、日本の家族構造や育児観・環境に合わせた文化適応と、その効果検証が望まれます。

 また、参加勧奨はどのプログラムにも共通する課題です。支援を必要とする保護者ほど孤立し参加しにくい傾向があるため、参加のハードルを下げ、父親を含めた保護者双方が参加しやすい仕組みが必要です。単発の事業ではなく、地域の子育てインフラとして継続的に実施されるよう、法定事業として位置付けることや政策的な関与も不可欠です。加えて、提供コスト削減や規模拡大のためには、オンライン提供やアプリ化といったデジタル化も重要です。すべての保護者がサポートを受けながら学びつつ子育てできる環境が整うよう、私も微力ながら母国にも貢献していければと存じます。



2.奨学生期間中にできたこと・将来計画

(1)博士論文:最も脆弱な立場に置かれた子どもたちを暴力から守るために

 博士課程では、ウガンダにおける障害児に対する虐待・暴力の現状と育児プログラムの効果を研究してきました。世界には約2億4000万人の障害児が存在し、その多くが低中所得国に暮らしています。障害のない子どもと比べて、障害児は多くの領域で逆境を抱えやすく、虐待や暴力に遭うリスクは約2倍高いとされ、発達やメンタルヘルスに長期的な負の影響から、予防は喫緊の課題です。

 私は①障害児が抱える脆弱性とリスク・保護因子、②虐待防止プログラムの効果が障害児にも同様に及ぶかどうか、③プログラムを障害インクルーシブにする上での障壁と機会、の三点を中心に研究し、現在二本目まで論文を完成させました。年内に博士課程の第二関門(Confirmation of Status)を終え、来年前半には博士論文提出と最終口頭試験を目指しております。成果がまとまり次第、博士論文や学会誌への投稿論文を共有いたします。また、学会参加を通じて世界の専門家と交流し、最新の知見や実践を学べたことも大きな財産となりました。

(2)サイドプロジェクト:小さくても実質的な変化を

 初回エッセイ(2023年2月)で掲げた目標は、「強い信念を持ち続け、小さくても実質的な変化を起こす」ことでした。一年目には、ウガンダとケニアにおける国家育児プログラムの開発評価および普及戦略策定に関わり、微力ながら貢献しました。この経験は、エビデンスを政策に活かす実務の重要性を理解する契機となり、今後もそのような仕事に携わりたいという指針を与えてくれました。あわせて、研究科内の学会運営委員長や日本にルーツのある大学院生会・青藍会の会長として身近なコミュニティでリーダーシップを担い、さらに研究科のEDI学生代表として不平等の課題に声を上げることで、小さな変化を起こすよう努めました。

研究科内の学会(Symposium for Early Researchers in Social Policy & Intervention)の運営委員会の仲間と

研究科内の学会(Symposium for Early Researchers in Social Policy & Intervention)の運営委員会の仲間と

 さらに、ご縁やネットワークを通じ、三本の研究を共著で発表する機会にも恵まれました。第一に、2024年11月にコロンビアで開かれた子どもに対する暴力撲滅グローバル閣僚会合の結果を分析したコメンタリー論文がLancet Child & Adolescent Health誌に掲載されることとなり、その中で各国政府に対し、障害児に対する暴力予防と対応に関する具体的行動の組み込みを検討するよう要請しました。第二に、障害児、難民の子ども、幼児に対する暴力について、自己報告法に基づくデータ収集における課題と回答支援方法に関する議論論文の執筆に貢献しました。第三に、紛争の影響を受ける子どもと家族の福祉向上を目的とする人道支援介入のシステマティックレビューを共著しました。博士課程開始前に思い描いていた以上の研究成果を得られたことは、大きな励みとなりました。

(3)将来計画

 卒業後の進路として奨学金応募時に掲げた目標は、「低所得国の子どもに対する社会福祉政策や支援プログラムの立案・実施・評価に関わり、特に社会的に弱い立場にある障害者・児や女性・女子の保護や福祉を強化する」ことでした。幸いにも、その方向性に沿う形で、来年からは国連人口基金(UNFPA)エチオピア事務所でプログラム分析官として経済的支援を通じたジェンダーに基づく暴力予防に取り組み、業務を進めながら博士論文を完成させる予定です。中長期的には、応募時に記した信念を貫き、最も弱い立場に置かれた子どもを暴力から守り、子どもと家族の福祉増進、そしてインクルーシブな社会の実現に尽力してまいります。

 この三年間、多くの挑戦と成果を積み重ねることができましたのは、事務局の皆様の温かい見守りと、素晴らしい奨学生仲間の励ましのおかげです。学びと成長、社会的なつながり、資金の各面でご支援を賜りました貴財団ならびにご支援者の皆様に、心より感謝申し上げます。

お世話になった財団理事・事務局の皆様と(2024年)

お世話になった財団理事・事務局の皆様と(2024年)