奨学生 レポート

外国人奨学生の顔写真

陳 露文(チン ロブン)
中国出身/2024~2025年度奨学生
日本女子大学 人間社会研究科 博士後期課程

中国における車のスマートシステム

 今回の帰国で、私が最も「中国のスマートさ」を体感したのは、空港でも駅でもなく、友人たちの「車」という、最も私的な空間の中だった。

 中国製の電気自動車に乗ると、まず車内の大きなスクリーンが目を引く。それは単なる地図表示ではなく、AIが周囲を走る車両を識別し、「右隣の車線にはテスラが一台、前方の白いSUVは新しく、運転者は経験豊富そうです」などと、生き生きとした情報を教えてくれる。さらに驚いたのは、運転席のフロントガラスに、運転者にしか見えないナビゲーションの投影(HUD)が映し出されていたことだ。速度や次の曲がり角が目の前の道路に浮かび上がり、友人は視線を路面上から一切そらすことなく、安全に情報を確認できる。この「見せる技術」の徹底ぶりに、ただならぬこだわりを感じた。

HUDの様子

(実際に写真を撮ることができなかったため、ネットで調べたものを載せる)

1:夜も問題なく見える
2:大きなスクリーン
3:進むべき道を示してくれる同時に、進行距離、制限速度、走行時間も一目瞭然
4 周りの車の位置や距離、大きさも識別できる

 そして、びっくりしたのは、狭い路地での「自動駐車」と、バッテリーステーションでの「自動バッテリー交換」だった。複雑な操作を要する縦列駐車をAIが難なくこなし、たった数分で車体下部から消耗したバッテリーが新品同様に交換される光景は、もはや未来の技術ではなく、確かな現実としてそこにあった。

 何より旅を楽しくしてくれるのが、カーナビの音声案内だ。日本では考えられないほど多様な有名人の音声パックが用意されており、人気俳優が「そこの角、曲がっ、曲がっ、曲がっちゃだめ!」とおもしろげに指示してくれたり、可愛らしいアイドル声が「目的地まで、あと少しですよ!頑張りましょう!」と応援してくれたりする。単調になりがちなドライブが、まるで誰かと会話をしているような感覚に変わり、長距離移動も飽きることがない。中国のAIは、道案内という「機能」を、楽しさと癒しを提供する「体験」に昇華させていた。

 一方、日本の車のナビゲーションを使うと、その落差は明らかだった。表示される情報は最小限で、音声案内も「300メートル先、右折です」ととても淡白である。日本のカーナビは、間違いのない正確さを追求する「道具」ではあるが、そこに「楽しみ」や「気遣い」といった感情の機微は、ほとんど感じられない。

 この違いは、技術そのものの差というより、社会がAIに求める「信頼」の形の違いのように思える。中国の車に載せているAIは、「いかに運転を効率化し、いかに早く新しい体験を提供できるか」という「速度と新鮮さ」への飽くなき追求を体現している。HUDで視線移動を削り、自動交換で停車時間を奪うなど、そこには時間と体験の「効率」を最大化しようとする、現代中国の価値観が脈打っている。

 対して日本のそれは、「いかに絶対的な安全を確保し、いかに危険をゼロに近づけるか」という「安全と確実さ」を重視しているのではないか。余計な情報は運転の妨害となり、未検証の機能は事故に直結するかもしれない。ゆえに、機能は絞り込まれ、表示は抑制される。

 どちらが正しいというわけではない。中国の熱狂的でスピード感あるAIは、生活を刺激的にする反面、時に「走りながら考える」ことへの不安が付きまとう。日本の堅実で控えめなAIは、確かな安心感を与えてくれるが、その速度の遅さには、もったいなさも感じてしまう。

 今回の帰国は、技術の進化が単なる機能向上ではなく、その社会が何を追求しているのかを、強く実感させてくれた旅となった。